本日も、りけいのりがお届けします。
※今回は、特段りけい的知識を得られる記事ではありません。
ただの、ぼやきです。
扱うのは、"ぶんけい"と"りけい"、そもそも何なのよというお話です。そこから、文系、理系というレッテルのステレオタイプが生む、様々な弊害を考えてみます。
というと、"りけいのり"というこのブログの存在意義自体が問われそうですが、気にしないことにします。
文系、理系という文化の分断
そもそも、文系や理系というレッテルはどこから生じるのでしょうか。以下、大学院を説明した際に利用した画像を再掲します。
この図で示すと、高校以降から
- 文系コース、理系コース
- スーパーサイエンスハイスクール
- 高専
みたいな文系と理系の分断が始まります。まさに、カルチャーの分断です。このような分断は、何故発生するのでしょうか。
それは、学校教育の便宜上発生すると考えられます。確かに、学生集団を扱う学校にとっては、1人1人に合わせた教育なんて提供できません。
だから、個性を取り払って、
- 何を学びたいか
- 何が得意か
ということを基準に、グルーピングし、教える内容の均質化を図るのです。集団教育を受ける学生にとっても、その方が合理的です。自分の学ぶことを選択できる権利が得られるからです。これは悪いことではありません。良いことです。
しかし、取捨選択の伴う問題は、往々にしてトレードオフの関係が成り立ちます。すなわち、
- 自分の学びたいことが学べる (メリット)
- 自分の学ぼうとしなかったことは学べない (デメリット)
ということです。デメリットの視点に立つと、"幅広い学問へ触れる機会の損失"が生じるのです。
現代においては、多くの学問が連携し、多くの文化が融合しています。まさに変化の時代です。多角的な視点が求められます。学校教育のみで、その視点を養うことは難しいです。だからこそ、学校教育という受動的な学びに依存しない、能動的な学びの姿勢が必要となります。
りけいのりでは、
- バリバリ理系の人
- ちょっと理系の科目をかじったことのある人
- 理系科目を楽しみたい・興味のある人
どんな方でも大歓迎。能動的に学びたいあなたと、2人3脚で自己成長を目指します。
今までの話をまとめると、
- 学校教育の便宜上、文系と理系は生まれる。(合理的である)
- 文系と理系という分断は、多角的な視点を損なう点でデメリットである。
ということになります。
大学に入ると、"文系"と"理系"の分断は、さらに助長されます。もはや、自分の周りを囲むのは、文系であれば文系、理系であれば理系の人間です。触れ合う人に異分子は存在せず、心地の良いコミュニティが誕生します。
そもそも、大学では、より高度で専門的な知識、学問の修得を目指します。ですので、これが大学のあるべき姿です。これで良いんです。でもやっぱり、能動的な学びの姿勢が重要であるという主張は、変わっていません。
少し、視点を変えてみます。りけいのりは、"文系"の人と"理系"の人を次のように定義します。
この定義に立脚すると、文系と理系の違いは、興味の対象が、文化か文明か、という違いしかありません。一方、人類の繁栄は文化と文明の両輪が担っていることから、双方欠かすことのできない視点です。
でも、以上のように双方の視点を尊重するという大局的な視点を持っている人は、実は少ないのではないかと思います。むしろ、文系と理系が互いを色眼鏡で見ているのではないでしょうか。次の図は、"りけいのりから見た"、文系と理系にかかる色眼鏡です。
- 文系の要素 (遊んでる、髪染めてる、理系苦手)
- 理系の要素 (眼鏡、固い、文系苦手)
このような色眼鏡は、お互いをよく知らないことから生じます。お互いをよく知らないことで生じる弊害について、次の節で扱います。
知らないことで生じる弊害
文系が理系を、理系が文系を知らないことで、どのような弊害が生じるのでしょうか。それは、認知バイアスです。文系や理系というレッテルを張ることで、相手のことをカテゴライズしようとします。
すると、こんな考えがそれぞれに浮かびます。
- この人は理系だから、きっとお堅いひとなんだろうな
- この人は文系だから、僕ら/私らの話に興味ないんだろうな
みたいなことです。学校教育の便宜上生じた分断が、文化の分断に繋がる瞬間です。これは、大きな機会損失であるといえます。
人類の繁栄もさることながら、"人生は、文化と文明により豊かになる"、とりけいのりは考えます。だから、文系と理系、お互い自分にできないところを持っている人ととらえて、仲良くした方が人生にプラスです。QOL上がります。
滔々と色々書いてきましたが、結局これが言いたい。
お互いがお互いを、自分と違うからって、変わっているからって、変人扱いしないでください。りけいのりは、変人扱いされると、少し寂しくなります。
おわりに
本記事では、
- 文系と理系の違いは、興味の対象であること
- 興味という小さな違いが、大きなデメリットを生むこと
をお話しました。
今回の記事も、結局はりけいのりの色眼鏡を通してみた世界の話です。ですから、ボヤキ程度に受け取ってもらえたら幸いです。本記事が、話したことのないあの人と話をしてみて、新たな世界に踏み出すきっかけとなれば嬉しいです。
捕捉として、これからは"テクノロジー偏重の時代"になることが予想されます。人類の文明的側面が今まで以上にフォーカスされる時代です。
"理系だから"といって拒絶反応を起こさずに、例えばこんな記事を味見してみて下さい。
以上、りけいのりがお届けしました。